ミレニアル世代のもやもや日記

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ライトニング・マックィーンと何者でもないわたし

※「カーズ/クロスロード」のネタバレを含みますので、ご注意ください※

 

「カーズ」のライトニング・マックィーンを見たときの感覚って、中島敦の「山月記」を読んだときの感覚と似たようなものがありまして。

 

主人公は、ワガママで自信があって他者との交流を避けがちで、地道な努力は厭うし周囲の人を見下す、いわゆるうざい奴。

 

うわ、嫌な奴…と思うのは、自分の中にも心当たりがあるから。

自分の醜い部分がゴリゴリ抉られてヒットポイント0。

いかに自分が嫌なやつであるかを見せ付けられてるような辛さに瀕死状態。

 

マックィーンは「カーズ」において素晴らしい内面的成長を遂げてくれる。

虎になるエンドを無事に回避し、師匠に教えを受け、大切な仲間たちと出会い、誰かを思いやり助け合うことの大切さ、勝利よりも大事なことを知るわけです。

 

ああ、なんてハートウォーミング。救いのあるストーリー。

ありがとうマックィーン。だからマックィーンが大好き。

 

 しかし彼も老いて引退を考えるときがくる。

それは分かる。

で、何やかやあって、自分も現役は続けるけど、後輩の育成にも喜びがあるよね、これも新たな始まりだよね、っていう結末になるのも分かる。

 

でも、ちょっと待ってくれ。

わたしはまだマックィーンに追いついてないよ。

自分の限界を認め、後輩を育てることに喜びを感じるというほどに何かを極めてないし、まだなんの第一線にも到達してないんだよ。

(そして今後の人生においてだって、そんな日が来るのかどうか分からない。)

 

わたしはまだカーズ2くらいで、仲間たちとわいわいしながら楽しんでいるモラトリアム期間にいるんだ。

 

だから、クロスロードにおけるマックィーンの心情を、想像はできるけど、自分のストーリーとしては見ることが出来なくて。

なんだろう、この距離が離れてしまったような切なさは。

 

ただ、マックィーンは、初めてのレースのときに自分が負けるなんて考えもしなかった、と言っていて。

結局自分が自信あること・結果が出ることって、自分にとってはさしたる努力をしなくても何となく人並み以上に出来てしまうことで。

出来るな、って分かるから好きになるし、もっとやろうと思うから、またいい結果が出る。

 

自分にもさほど苦でなく努力できることっていうのはあるわけだけど。

それが、事務処理能力だとか、テストでいい点が取れる能力くらいだ、って気付くときの何ともいえない虚しさたるや。

 

それだっていいじゃん、何かの役には立つよ、という慰めも聞こえるけど、

もっと人に勇気や感動を与えられて、人にもてはやされるような能力を持っていたらな、と平凡な人間は感じてしまったりする。

 

(能力じゃなくて「努力」、という耳にタコができるような話はここではおいておきますからね。)

 

そんな感じだけど、クルーズ・ラミレスみたいに、チャンスが降ってきたら、そのチャンスを掴めたら、いいよね。